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【日本で就活する理由⁉】大学へ出たけれど…

まいど、トシです。

まずは、90年前の映画『大学は出たけれど』(1929)について…。

監督は、小津安二郎という方で、大学を卒業しても就職だった昭和初期の世相を反映し、若夫婦の東京での生活が皮肉っぽく描かれたコメディ作品。。。

まず、ここで思うのは、90年前でも「就活は大変だったのかぁ」という雑感。もう一つは「なんで企業に就職しなければならないの?」という疑問…。

では、私の経験も踏まえ、「日本で就活する理由」について、掘り下げてみたいと思います。

「大学を出る」とは?

私は地方出身のイナカ者。東京にあこがれてマーチ(「MARCH」…明治、青学、立教、中央、法政)のどれか一つに入学しました。当時、私は両親ともにとても喜び、「これでつらい受験戦争を終えた」との安堵感に満ちると同時に、期待感ばかりが先立っていました。

しかし、大学生活はそう順風満帆には行きませんでした。私は大学2年の中頃になると、無気力感に襲われ、吸ったこともないタバコを吸い始め、勉強もせず目標のないまま、ゲーム三昧で昼夜逆転の生活を送っていました。

当然、単位習得もままならず、「留年か?」「中退か?」などの選択に迫られました。

そして両親の一言「就職するなら、大学くらい出ておきな」との一言でした。

そうでした私は、目標を持たない無気力人間でしたし、退学して「何か事業をしたい」との衝動もありませんでした。ですから大目標を持たないまま、「とりあえず『就職』して企業に入る」との選択肢しかチョイスできなかったのです。

「就活」とは?

大学3年になると、就活の下準備が始まる時期です。大手の「青田買い」「リクルーター訪問」などなど、今でも頭の中から、キーワードが浮かんでは消え、浮かんでは消えていきます。

まだ時代は、90年代のバブル崩壊時期…。大手三大商社の最終面接までこぎつけるも、あえなく落選。私は、東証二部上場の成長企業に就職することになりました。

銀行の支店長であった叔父さんは「月給100万」と言っていましたし、もう一人の叔父さんも大手ゼネコンにいたことから、私も「負けまい」と大手のブランドにあこがれを抱いていました。

私が大手に就職しなかった理由は「今まで、両親の手を借りてきた。これからは誰の手も借りたくない」という自尊心があった…

ウソです。

ホンネは「この会社とともに、自分が急成長できるのでは?」「急成長の先には重役⁉年収1000万⁉」などなど、20代の若気の至りの「虚栄心」ばかりでした。

ミスチルで言うと「妙なプライドは捨ててしまえばいー♪」って感じですが、恥ずかしながら、その通りだったのです。

「日本で就職」するとは?

その後、会社での仕事ぶりは割愛しますが、ひらたく言えば「ブラック企業」でした。

「朝は8時半から、夜は零時前に帰ることがない」といった激務をこなしていました。さらに20歳の「ペイペイ」は高給取りであるはずもありません。

新卒で入った同期は、「半年後には半数になり、1年後にはその半数、1/4しか残っていない状況」となりました。その2年後、私も例外なく、方向性を考えて退職したのでした。

私は、両親が「先生」であったこともあり、「やっぱ公務員しょ」と公務員試験を受験。

国家2種(準キャリ)と県警に内定をもらいます。そこで私は、祖母の「トシちゃんは柔道やっているから『お巡りさん』に向いてるね」との言葉がよぎり、「体力なら負けまい」と警察官となったのでした。

で…、その後、ざっくり言って、警察官も「ブラック」でした。

補足ですが、デメリットだけではありません。

メリットは「福利厚生」でした。アパート・マンションなどの住宅補助金もしっかりしていますし、その頃「退職金3千万」と言われ、ほとんどの警察官は「上司のパワハラやアルハラに我慢すれば、30,40年後には退職金が満額に手に入る」と言い聞かせて我慢の日々を送っていました。

まぁ、これを聞いてメリットと聞こえるかは別ですが、少なくとも警察官のほとんどはメリットと感じていたハズ…。

「就職」って?

そうして、40歳を超えた頃、仕事の隅々まで見る力がつき、「市役所に出向」という機会にも恵まれました。市役所での仕事は、とても貴重な経験であったと思っています。

そして同時に思い浮かんだのが「公務員はオワコン」ということでした。

この感覚はある種、「目覚め」の感覚に似ています。

公務員をはじめ、大企業などの「組織」というものは、「理屈」や「合理性」で動くものではなく、「人の感情(ゴマすり)と非効率性をメインエンジンにして活動しているのだ」と判断できました!

私が上司や部下に論理的に説明したとしても、上司は「前例がない」「他部署からクレームが来る」と言って、引っ込み思案となり、一方、部下は「そんな仕事はやったことがありません」「私の仕事ではありません(面倒なのでやりません)」とチャレンジすることを拒み、抵抗する生き物(繁殖した「ばい菌」のようなもの)となっていました。

その後、市役所の「企業文化」になじめなかった私は「独断専行」「協調性を欠く」とのことで、出戻り警察官となったのです。

戻ってきた私は、さらに衝撃を感じえずにはいられませんでした。

「政府が『働き方改革』と法制化したにもかかわらず、一切手を付けていない」「それどころか、表面現象だけを持ち出し、『数値化』して本庁報告しているだけ」でした。

具体的な例を挙げると「夏休みに向けて『夏季5日、年次7日の休暇を取得せよ』との通達が出される」ことになりますが、「形式的には休暇を取得したことにし、実際は職場出勤している」といったことを相変わらずやっていました。

それは上司の口頭命令にもとづくもので、仕事が溜まっている部下も「仕方なく出勤」しているものでした。

当然ながら、そうした感覚で仕事をしていると、みんなが「だらだらワーク」となりますので、「生産性は低く」、しかも「効率的に仕事をこなしたい」という発想すらありませんでした。

劣悪な職場環境にいる私は、「ミジメな気持ち」となり、「1人で頑張っているのがバカらしく」なり、うつ病となり退職することにしたのです。

さあ、一歩を踏み出し「チャレンジ」しよう!

私は46歳。

このブログを見ている人は「もうオジサン」と思っている方が多く、45歳からは「シニア」と呼ばれ、年齢的に「もう遅い」と感じている方が大半だと思います。

しかし考えてください!

「65歳定年と言われ、仕事はあと20年続けなければならない」という計算。「警察(公務員)の仕事も20年を勤め、いい転換期である」と!

そう遅くはないのです。

もちろん、20代、30代の方々はこれからチャレンジできますし、50代、60代の方々も、「決して遅くはない」と断言します。

それはなぜかと言うと…

今回、新一万円札の顔となる渋沢栄一は「四十、五十ははな垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」と残しています。

さらに、みずほ銀行の前身をつくった安田善次郎は「五十、六十は鼻たれ小僧、男盛りは八、九十」と言っています。

歴史的人物は、すでに証明しているのです。

明治時代の男子はモチベがすごい!

さあ、一歩を踏み出し「チャレンジ」あるのみ!です。

 

 

 

 

ABOUT ME
xxdan7
46歳独身男性...バツイチです。自由気ままな生活を送っている元公務員(警察官)です。現在、株式投資、ブログで私の経験談などを定期的にアップしています。過去、職場での裏話や私の人生設計などなど参考にしてみて下さい。